先日のブログで明治天皇が崩御(ほうぎょ)された日を
明治45年7月“29日”と記(しる)した。
これを不審に感じた人がいるかも知れない。
一般に明治天皇の崩御日は7月“30日”と受け取られているからだ。のみならず、皇室祭祀の明治天皇例祭も同日に行われている
(宮中の例祭は崩御相当日に行われる)。
だが、明治天皇が実際に亡くなられたのは7月29日、午後10時43分。
その後、2時間、喪(も)を秘して、翌日午前0時43分に
崩御されたこととして、公表された。
これは何故か。明治の皇室典範に「天皇崩ス(ず)ルトキハ皇嗣即(すなわ)チ
践祚(せんそ、即位すること)シ祖宗(そそう)ノ神器(じんぎ)ヲ
承(う)ク」(第10条)とあり、旧「登極令(とうきょくれい)」
(第1条)及び同附式(第1編))の規定では新天皇の“践祚”に当たり、
「賢所(かしこどころ)の儀」・「剣璽渡御(けんじとぎょ)の儀」を
“直ち”に行わなければならない。しかし、同日中の儀式の準備・執行は(残りの時間が1時間にも足りず)
時間的に無理だった為、という。
例祭はこの日付に依拠している為に7月30日になっている。
念の為に。【高森明勅公式サイト】
https://www.a-takamori.com/
BLOGブログ
前の記事へ「絵画館」バーチャル案内?
国民の明治神宮次の記事へ